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視聴スタイル多様化時代のテレビ放送

ワンセグケータイ、P901iTV をしばらく使ってみて感じたこと。

私の今の職場は自宅からけっこう近く、通勤中電車に乗っている時間なんて 15 分に満たないので(しかも座れないことがほとんどなので新聞や雑誌を広げるわけにもいかない)、最近は時間つぶしにワンセグでも・・・ということが増えてきたんですが、逆にその短時間のためにケータイにヘッドホンを接続するのも面倒で、音声ナシでワンセグの映像だけをぼんやり眺めていたりします。
でも、意外とこれって観れちゃうんですよね。音声ナシだと何をやってるか分からなさそうなものですが、生放送やドラマでもない限りはほとんどの番組でテロップを多用しているので、音がなくてもほとんどの内容が分かる。これが「だいたい分かる」というならともかく、話の筋を作るようなコメントや面白いコメントには須くテロップが入っているので、「ほとんど分かって」しまう感じなんです。


昔、バイトで下っ端の編集マンみたいな仕事をしていたこともあって、私はこのテロップ多用のテレビ文化に対して、「言葉を文字に置き換えることで無理矢理笑わせようとしている」「人間の口から発せられる言葉の情緒やわび・さびを絶滅させる行為だ」という考えでいました。おそらく、芝居や歌が人間に感動を与える理由は小説のそれとは異なる種類のものだろうし、落語みたいなものは「語り手」がいるから面白いのであって、落語が活字だけだったらそこまで面白いものにはならないことと、同じ理由で。
そんな感じで、テレビでテロップを多用することについては否定的な立場だったんですが、ちょっと前にある人から「自分もそう思っていたけど、耳の不自由な人や老人にとっては健常者と同じようにテレビを観られて、みんなと同じところで笑えるのが嬉しい、という考えもある」というような話を聞き、妙に納得してしまったことがありました。そして、改めて自分が「音声ナシでテレビ番組を楽しむ」ということを試してみて、テロップ多用にも意外なメリットはあるものだな・・・と改めて思ったというわけ。

無論、テロップを使って他愛ないことを無理矢理面白く見せているテレビの作りが「芸能人」の質の低下を招き、芸能人の使い捨てみたいなことが以前に比べて加速していることもおそらく確かだとは思います。なので、テロップの多用を全て是とするわけではありませんが、放送がデジタル化でいよいよ本格的な多チャンネル時代を迎え、さらにワンセグやブロードバンド放送など放送自体の多様化が進むこの先、例えば映画とテレビで画作りが異なるのと同じような「コンテンツの作り分け」みたいなことも必要になってくるのは確実だろうなあ、と、2.5 インチの小さな画面を見つめながらしみじみと感じてしまいました。

・・・気がつけば、ワンセグの本放送開始まであと 2 週間に迫っているじゃないですか。

コメント

  1. むっちー より:

    うーん、たしかにテロップがうるさすぎて最近テレビを
    見ようという気が起きないのは確かだ

    でも最近少し耳が悪くなったので(人の声が聞こえない)、映画は必ず字幕で観てしまうんだよな~
    吹き替えが聞き取れなくて

    ワンセグといえばDSじゃないですか!
    楽しみですけどね、まだ買えない

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