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Heaven Knows

今日から 5 月。いつもなら今頃はサンマリノ GP の時期ですが、今年は開催されず。第 3 戦バーレーンからヨーロッパラウンドの初戦スペインまでは一ヶ月もの間があり、各チームのテクニカルアップデートと次のレースが待ち遠しい日々を送っています。
サンマリノの季節・・・5 月 1 日、という日は、世界中の F1 ファンにとって忘れられない日。アイルトン・セナの命日です。

当時、まだ高校生だった私は、F1 のテレビ放送はたいていビデオに録って翌日観ることがほとんどでした。早めの時間帯なら夜更かしして観ていたのですが、それ以外は翌朝早起きして観ていました。
でも、その日だけは何となくリアルタイムで見ないといけない気がしていたんですよ。ちょっと後ろ髪を引かれる気がしつつも、いつもどおりにビデオデッキの録画予約をセットして、その日は眠りにつきました。

が、翌朝のニュース。いつもなら滅多に F1 の話題を取り上げない朝のニュースが、セナの訃報を伝えていました。

私は「その瞬間」を見てしまうのが怖くて、結局そのままその年のイモラの VTR は観ることができませんでした。セナがヘリで運ばれていくシーンは何度かニュースでも見たのですが、そのレースは未だに目にしていません。

最終的には IT 系に興味をもって(前職を経て)今の仕事に就いていますが、大学に入って本格的に IT と出会うまでは、かなり本気で航空力学を学んでレーシングカーのデザイナーやメカニックになりたいと思っていました。それくらい、セナという人物(と、ホンダと中嶋悟)は少年期の私に大きな影響を与えていたと言えます。ミハエルではないですが、私にとっても「セナはアイドルだった」と言って良いでしょうね。

ミハエルがセナに追いすがった 1994 年のイモラ・タンブレロ。そのミハエルがセナを超えた 2006 年のサンマリノ。そして今年は、そのサンマリノが一年の休養に入っています。


ミハエルの常勝時代が始まって、個人的にも興味の対象がメカニカルエンジニアから IT エンジニアに移ってから、しばらく忘れていたのですが、ここ数年 F1 に再び興味を持つようになってから思い出したことがあります。かつて、こんなものを持っていたのでした。

アイルトン・セナの直筆サイン入りトレーナー。ホンダのグッズで、ホンダ系のとあるイベントで運良く当たったものです。確か当時はまだ中学生だったと思うんですが、そのときは本当に嬉しかった記憶があります。大事にしまっていたのですが、F1 への興味が薄れると同時にそのまま忘れてしまっていたのを、正月に帰省したときに思い出して引っ張り出してきました。
通常「Ayrton Senna」と入れるサインがこれは「Ayrton」だけなのは珍しいかも。もちろん腕は通していないどころか、もったいなすぎてビニールすら開けていません。果たしてどれくらいの価値があるのか想像もつきませんが、自分の少年時代の大切な思い出として、エンジニアを夢に描いていた頃の気持ちを思い出すための証として、また大事にしたいと思います。

コメント

  1. むっちー より:

    セナの死、自分は入社したての家電量販店で
    仕事中に知りました

    巡店に来ていたTDKのパートのおばちゃんが
    そのTV映像を見て泣いていたのが印象的でした

    当時F1にはほとんど興味なく、今思えばもっと
    早くに知っておくべきだったと思っています

  2. B より:

    セナはドライバーの力量が物を言った時代の最後のドライバーだったんじゃないかと思います。
    今じゃ半ばテクノロジーやチーム力で優劣が決まってしまいますからね。
    現代でも、ミハエルやアロンソのようにチーム自体を強くできるドライバーが
    いることは確かですが、明らかに戦闘力の劣るマシンで速いマシンをオーバーテイク
    したり、逆に最後まで抑えきったり・・・というのはセナ以降なかなか
    目にしません。

    彼ら(セナだけでなく、プロストやマンセルら)のレースをリアルタイムで
    目にすることができた当時の日本人ファンは貴重な経験をしたのだ、と
    今更ながらに思うわけです。

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