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祖母を送った日

祖母を送った日

何年も寝たきりだった母方の祖母が一昨日、他界した。享年 85。
私は昨日の朝から通夜と告別式のために金沢に戻り、ついさっき東京に帰ってきたところ。

祖父が亡くなったのがあの震災の直前だったから、あれから八年が経ったことになる。
母方の実家で実質的な独居老人になった後、徐々に認知症が始まり、翌年夏にアクシデントで脚を骨折してから、あんなに元気だった祖母が車椅子から寝たきりへとどんどん動けなくなっていった。
それでも、両親が金沢で妹夫婦と同居を始める際に祖母も近くの施設に移し、両親や妹、姪たちが頻繁に顔を見に行っていたようだ。私もせいぜい年に一、二度ながら顔を見に行った際には、運が良かったのか、二人しかいない孫の顔だけは忘れないのか分からないけど、認知症が進んでいるにも関わらずほぼ毎回元気で時折笑顔さえ見せてくれていたのは本当に嬉しかった。昨年末、別件で帰省した際に病院に行ったときにはぐっすり眠っていて声がかけられず、結局それが最後の機会になった。母から「あと数日もつかどうか」という連絡が来て翌日昼には亡くなったというから、最期に苦しむ時間があまり長くなかったことは却って良かったんだろうと思う。寝たきりになり、最後の数ヶ月は嚥下もできなくなって点滴だけだった祖母の身体は、自分の想像よりもずっと小さくなっていた。

元気だった頃は畑仕事で日に灼けたイメージが強かったのに、棺に収まった顔はずいぶん白かった。死化粧のせいでもあるんだろうけど、数年間屋外に出ない生活で本来の肌の色が戻ったのだろう。自由に歩けない生活は不便だっただろうけど、働きづめだった生活から静かな生活に移り、孫やひ孫まで日々顔を見せに来た最後の数年間はきっと幸せだったに違いない。

祖母は自身が 44 歳のときに私の「おばあちゃん」になり、以来 40 年以上ずっと「おばあちゃん」だった。自分があと二年半で「おじいちゃん」だ、と言われても全くピンとこないけど、どんな感覚だったんだろうか。孫は私たち兄妹二人だけだったこともあって本当にかわいがってもらったし、自分自身も「おばあちゃんっ子」だった自覚がある。父方の祖父母が早くに亡くなってしまったため、当時は「自分たちだけ孫の成長をこんなに見せてもらって(父方の祖父母に)申し訳ない」というようなことを言っていたそうだ。

施設に入って数年、毎回「これが最後かもしれない」というつもりで顔を見に行っていたから、今回はついに来るべきものが来た、と落ち着いて受け止めているつもりでいた。それにごく近い親戚だけが参列する実質的な家族葬で、あまり誰かに気を遣う必要もなかったけれど、通夜の翌朝一番で告別式という慌ただしいスケジュールだったせいであまりしんみりしている暇がなかった。でも自宅に帰ってきた今ようやく「淋しい」という気持ちが湧いてきている。

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