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2008/11/09 (Sun.)

予知夢

探偵ガリレオ』から、続けて一気に読んじゃいました。

東野 圭吾 / 予知夢

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福井晴敏も好きなんですが、大作が多いので読むのにそれなりに体力が要るのと、独特の歴史観・戦争観を受け止めなくてはならないので、ちょっと構えてしまうんですね。それに対してこのガリレオシリーズは、頭は使うけどどんどん読み進めていけるので、けっこう気に入りました。
前作に比べると、扱う内容が「難事件」から「オカルト事件」に寄ってきていて、より『トリック』然としてきた(初出はガリレオシリーズのほうが先ですが)ような気がします。いや、個人的にはどっちも好きなんですが。

非科学的と思われる事件を科学的もしくは論理的な推理によって解決する、がこのシリーズの醍醐味だと思いますが、最後のエピソード「予知る(しる)」の結びでは必ずしもそうではない(事件の解決そのものには論理的な説明がつけられているが、予知能力の実在を想起させるような)神秘的な表現がされていたり、こういうのもけっこう好み。

東野圭吾の作品、気に入ったので、あといくつか読んでみたいと思います。

投稿者 B : 23:13 | Book | Novel | コメント (0) | トラックバック

2008/11/08 (Sat.)

探偵ガリレオ

流行りだからってわけじゃないですが、富士に行くときに道中の暇つぶしに何となく買った小説。結局行きも帰りも待ち時間ゼロだったので、読む機会がなかったんですが、最近の通勤で読破しました。

東野 圭吾 / 探偵ガリレオ

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推理小説=長編という先入観があったので、読んでみて短編だったのにはちょっと驚きました。でも、それが却ってとっつきやすく、かつ簡潔な内容や文体にも似合っていると思います。テレビドラマのほうは、1 回だけ(しかも途中まで)しか見ておらず、『トリック』的な謎解きと『古畑任三郎』的な変キャラ主人公の話かと高を括っていたら、原作に良い意味で裏切られましたね。

東野圭吾は理系の技術者出身らしく無駄な表現のない(というか私は理系出身なのに文章が無駄に長すぎだ)あっさりとした文体で、物語もさほど抑揚なく淡々と進むし、犯人や犯行の描写も客観的であっさりしているので、小説としてはあまりドラマチックではない(そのわりに、犯行現場やタネ明かしの映像的表現は秀逸)ですが、この淡々とした描き方によって、逆に人はこんなに単純なことで人を殺せてしまう、という生々しさが浮き彫りになっている気がします。
個人的にはもっと犯人との駆け引きや、犯人側の心理も描いたような作風のほうが好きなのですが、でも、それは科学的なトリックを主役に据えたこの作品には相応しくないのかもしれません。

巻末の解説によると、ガリレオのモデルは佐野史郎だとか(!)。ドラマの福山雅治とは全然イメージが違いますが・・・。

投稿者 B : 22:45 | Book | Novel | コメント (0) | トラックバック

2008/11/01 (Sat.)

私塾のすすめ

齋藤 孝、梅田 望夫 / 私塾のすすめ ──ここから創造が生まれる

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最近よく読んでいる梅田望夫氏の著作、4 冊目。ここらで一段落かな。今回は齋藤孝氏との対談ですが、基本的に論旨は今までの 3 冊と大きくは変わりません。それに加えて教育論、リーダー論、みたいなものが付加された内容になっています。

何かを勉強しようと思うときに、その領域の本を全部入手して、あっちに行ったりこっちに行ったりしながら自分のスタイルで勉強したいと思うタイプの人は、ウェブの世界を、たいへんな能力の増幅器だと認識していると思います。

私はどちらかといえば、紙媒体を与えられると最後まで精読しようとしてしまうタイプなのですが、Web だと逆だったりします。Wikipedia なんかが良い例ですが、途中で他に知るべき情報があったり、興味を惹かれる話があったりすると、果てしなく寄り道して寄り道したほうを突き詰めてしまうタイプかもしれません。
そういう意味では、Web は人の学びのスタイルをも変える可能性を持ったツールだと言えますね。

インターネットがわれわれの能力の増幅器であるということですよね。蒸気機関や自動車が人間の筋肉の能力を増強したように、ネットが脳とか人間関係を増幅する。距離と時間と無限性の概念をゆるがしているわけです。リアルの限定されたコミュニティだけにとらわれず、未知との遭遇のありようががらりと変わってくると、いろいろな可能性が出てきます。

もはや言うまでもない話かもいれませんが、こういう話には深く共感します。インターネット上の誰かの知識や考えが、自分の知や学びの加速器になるという話。場合によっては、知識だけではなく精神的な救いにもなってくれたりする。まあ、必ずしもバーチャルでの出会いだけで全てが完結するわけではなく、リアルのやりとりとの補完によって成り立つものも多いですが。でも、それを体験したことのない人にはなかなか理解されない話であるのも事実だったり。

「ここにチャンスがあるんだし、一生懸命努力すれば・・・」と言ったときに、「そんなこと俺にはできないよ」「興味ないよ」という人のところまで下りていって、「さあやろうよ」とまで自分にはできないなと感じました。ウェブに取り組む態度でも、受動的にユーチューブをただボーっと見ているだけの人ではなく、じゃあブログを書いてやってみようという人、好きなことに能動的に取り組んでなにかをやっていこう、という人たち。そういう人たちなら、学校の勉強ができるできないにかかわらず、つきあっていけると思いました。

これは近年の私がかなり悩んでいることの一つ。最近は「そういうものだ」と少し諦めもつきましたが、興味のない他人を引っ張り上げることがいかに難しいか・・・そうしないと自分(たち)の目標が達成できない、となると特に。
こういう話は Web という大海を自分なりに流浪れて、自らと志向性を同じくする誰かと出会った人ならではの物言いだと思うので、そうでない人にとって見方によってはその気がない人は切り捨ててもやむなし、という話に聞こえてしまいそうですが、そこは志向性の違いなので自分の価値観を誰かに強制するのもどうかと思うし。だからこそ、そこで共感して一緒に何かを目指そうという人に出会えたときに、強い力になる実感を得られるものだとも思うので、最近はどちらかというと無理して手近な誰かに過剰な期待をかけるより「共感してもらえる仲間を見つける」ことのほうが重要なのだろうな、と考えるようにしています(もちろん、近くにいる人に同じ志向性を持ってもらえるよう、ある程度の種まきまでは自分がやる前提で)。

だから僕は、大組織にせよ、組織以外での仕事にせよ、自分とぴったりあったことでない限り、絶対に競争力が出ない時代になってきていると思います。朝起きてすぐに、自分を取り巻く仕事のコミュニティと何かやりとりすることを面白いと思える人でなければ、生き残れない。これが幸せな仕事人生になるのか、不幸なのかは一概に言えないのだけれど、いま、過渡状態で起きていることというのは、そういうことだと思う。自分の志向性とぴったりあったことをやっている人は、自然にすごい長時間仕事をするものだから、会社でもコミュニティでも重宝されるというか、「いい仕事しているな」ということになる。
僕が「好きなことを貫く」ということを、最近、確信犯的に言っている理由というのは、「好きなことを貫くと幸せになれる」というような牧歌的な話じゃなくて、そういう競争環境のなかで、自分の志向性というものに意識的にならないと、サバイバルできないのではないかという危機感があって、それを伝えたいと思うからです。

このあたりにも深く共感。近年の高度に複雑化した世の中では、様々なことが単純な数字やデータだけでは読み取れなくなってきており、同時にその仕事に対してどれだけ気持ちが込められているか、を世の中が敏感に感じ取るようになってきているのではないかと感じています。そういう世の中で、いかに知識や技術だけを身につけようと、「想い」を持たなければ人も企業も生き残れない時代になっているのだと思っています。
そうはいっても会社/社会はそういう人たちだけで回っているわけではない、というのも真理なのですが、自分の理想と現実に折り合いをつけるだけではダメで、少しでも現実を自分の理想に近づけようと足掻く、時にはポジションを変える諦めの悪さを、少なくとも持っていなくてはならないのでしょうね。それでも、転職する前の私であったら、そんなことを言われたら「そう言われても・・・」と言っていたか、「そうか、じゃあそういうことなら」となっていたか、判らないわけですが。

まとめとして、従来読んだ 3 冊と基本的な内容は変わっていないので特に新しく得るものはありませんでしたが(『フューチャリスト宣言』と同様に、人と違う生き方をしてきて成功した人同士の対談なので、志向性の異なる人が読んだらむしろネガティブな感想を抱くかもしれません)、今までと同じく自分が今やっていることについて自信を深めさせてくれる書物でした。対談ものはそろそろお腹いっぱいですが(脱線気味に展開する話も多いので・・・)、梅田氏の書き下ろしが発売されたらまた読んでみたいと思います。ってしばらく本出さないんでしたっけ・・・。

投稿者 B : 22:35 | Book | Business | コメント (0) | トラックバック

2008/10/06 (Mon.)

ランチェスター戦略「一点突破」の法則

福永 雅文 / ランチェスター戦略「一点突破」の法則

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こないだ読んだ『「弱者逆転」の法則』の続編。「弱者逆転」のためのカギとなる「一点突破」の必勝法を伝授する・・・という内容を期待して読んでみたら、基本的な論旨は前著と大差なく、一部事例を最近のものに差し替えたアップデート版的な内容になっていました。
大筋は前著と同じなので、個人的にはちょっと期待外れ。事例としても「後付けで何とでも言えるよねー」と前から思っていたので、そういう意味でも目からウロコ的な発見は特にありませんでした。最初に手に取る一冊としてなら良いと思いますが、続編・掘り下げ編的な内容を期待すると、裏切られるかもしれません。

ただ、このくだりには少し勇気づけられましたね。

さらにもうひとつ、究極の差別化の方法を伝授しましょう。それは理念です。私は理念こそが究極の差別化方法、すなわち最強の武器であると主張しています。
理念とは企業経営の原点であり根幹です。何のために事業をなし自社は存在するのか、社会に対しての存在意義を表明するものです。顧客に対しても存在価値を伝え、愛され尊敬され信頼される企業になる。社員に対しても心の拠り所となり自信と誇りを与え使命感をもって働く"錦の御旗"になる。経営者にとっては創業の原点。(中略)
このように重要な理念はライバルに対しても最強の競争力となり、真似のされない本質的な差別化戦略となるのです。
多くの企業では、どうしても「儲かるかどうか」という観点ばかりでビジネス戦略が語られがちだと思いますが、企業価値とか企業としての存在意義みたいなもの(広報アピール的なものではなく、もっと根源的欲求みたいなもの)がもっとフォーカスされても良いと思うんですよ。少なくとも私はそういうことを求めて転職したつもりでいるので、カイシャでは実際には歯がゆい思いをすることも少なくない。なので、そういう考えを持って良いんだ、それこそが真実には差異化ための武器になるんだ、と言ってもらえたことで、ちょっと勇気がもらえた気がしました。

とりあえずもうちょっとそれを信じてやってみることとします。でも、まだまだいろいろ勉強しないとなあ。ただ、最近は自分の弱点を補うようなスキルを身につけていこうとしていますが、ランチェスター的に考えるとむしろ強みを伸ばす方向に舵を取り直したほうが良いのか、悩みどころだったりします(笑。

投稿者 B : 22:15 | Book | Business | コメント (0) | トラックバック

2008/09/05 (Fri.)

ランチェスター戦略「弱者逆転」の法則

しばらく Web 関連の書籍が続いてたんですが、今度は思いっきり現実路線のお勉強。

福永 雅文 / ランチェスター戦略「弱者逆転」の法則

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大学時代はずっとエンジニアになるつもりだったので(いや、実際に一度なったわけだけど)、一般教養系のマクロ経済学とか輸送問題みたいな科目は軽くスルーしてたんですが、最近になってそういう文系スキルの必要性を痛感(ノ∀`)。マジメに勉強しておけばよかったー。
# まあ、経済学に限らず、大学時代の私は学校の勉強そっちのけで PC・ネット系と音楽の独学ばかりしてましたが・・・。

ということで、今年はそっち系のスキルも身につけないと、と思って雑誌や本を読んだり、Web で勉強したり、研修を受けたりしてます。このランチェスター本はこないだ読んだ『改訂 シンプルマーケティング』と『孫子の兵法』に続いて、読んでおくべきと思って手に取った書物。

シェアの考え方は『シンプルマーケティング』でも基礎的な部分を説明されていますが、これはそのあたりを掘り下げつつ、戦略的な「戦い方」についてより実戦的にまとめた本です。基本的には戦争の戦い方を理論化した法則を経済に応用したものなので、『孫子の兵法』と考え方が似ている部分も多いですが、やはりそれだけ普遍的な法則だということなのでしょう。

ランチェスター戦略自体はもう経営戦略のバイブルみたいなものなので、経営企画やマーケティングに関わる人ならば基礎くらいは知っているべき話だと思いますが、それにしても世の中「強者の戦略」と「弱者の戦略」のどちらを取るべきなのか見誤っている失敗事例がいかに多いことか。特に、2 位以下であるにも関わらずフルラインアップを揃えて戦線を全面展開する企業は枚挙に暇がありません。戦略の王道を知らない企業ばかりではないはずなのに、こういうことが起きてしまうのは、いかに理論を学んでいても、実はそれ以上にそれを応用すべき「局面の認識」が重要だからだろうな、と思います。
実際に、この本を読んでアタマで分かったつもりになっていても、果たして自社が置かれているのはどんな局面なのか?冷静に分析しようとすると、これが実は難しい。マクロ的に見れば確率戦の戦略に出るべきように見えても、ミクロ的には競合他社が絶対的な市場を作っており、むしろ弱者の戦略で武器効率を高める方向に行くべきに見えたり。

本書の中でも過去の成功事例(実際の企業の事例と、戦国大名の戦いにおける事例)が数多く挙げられていますが、やや後付け感があるかなと。特に戦国時代の話については、無理矢理っぽいものも見受けられます。まあ、「過去の成功者も改めて見てみると、こういう合理的な法則を体で解っていた」という話だとは思いますが。
ということで、この本を一冊読んでみて、むしろランチェスター戦略の応用の仕方であったり、逆を行った失敗例なんかを学んでみたくなりました。世の中往々にして成功事例よりも失敗例からのほうが学ぶべきことが多いものですし、どのようなシチュエーションで状況を見誤るのか?など、現状分析と把握、そして打つべき手の選択こそ重要かなと思うので、そういうケーススタディをしてみたいです。まあ、そのへんはむしろ実際に経験していくべきことなのかもしれないですが、かといって現代の企業でそうそう失敗が許されるようなこともないし。

ううむ、この分野は今まで手を出していなかったけれど、もう少し本気で勉強してみる必要があるかなあ・・・。

投稿者 B : 21:40 | Book | Business | コメント (0) | トラックバック

2008/08/29 (Fri.)

「みんなの知識」をビジネスにする

珍しくタイトル買いしてしまった書物。

兼元 謙任・佐々木 俊尚 / 「みんなの知識」をビジネスにする

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「みんなの知識をビジネスにする」というと、「他人のナレッジを利用して一儲けする」という意味合いに聞こえがちですが、たぶんそういうことじゃなくて、Web 上に構成される「群衆の叡智」をもっと誰でも手軽に利用(受け取り側だけでなく、発信するという意味でも)できるような仕組みを提供して、運営側はその対価を何らかの形(広告モデル含む)で得ることによって生活の糧とする、くらいのニュアンスでしょう。嫌儲という言葉があるから、というわけではないですが、お金儲けよりもまずはみんなに便利なモノ・コトを提供して、でも完全なボランティアじゃ成り立たないから、ちゃんと回るように仕組み化する、くらいのニュアンスかなと。

さすがにこういう考えかたになってくると、なかなか仕事と絡ませることが難しいので個人的な妄想や夢みたいな話になってきますが、かつて個人の Web サイトをビジネスに昇華させたい、「Web の力を使って新しい『ものづくり』の形を作りたい」「企業とユーザーの関係を変えたい」と考えていた私には、けっこう響くものがある本でした。当時私が運営していたサイトはユーザー間の情報交換が中心だったので、もしかしたら OKWave の兼元氏とは目指していたところが近かったのかもしれません。
結局、(Web 系のサービスプロバイダーや ISP みたいな、コンシューマー向けサービスもやっている IT・ネット系企業でもない限り)大企業ベースではなかなかこういうことを本格的にやりたくても、実現が難しいのが事実。OKWave なんかは企業のカスタマーサポートの受け皿になりつつうまくやっているようですが、そういう感じでネットベンチャーや中小のサービスプロバイダーが大企業の Web コミュニケーションをアウトソースする、みたいなスタンスが現在は主流なんですかね。
私が転職に絡んでそういうこと(個人サイトのビジネス化)を考えていた 3~4 年前には「大きなうねり」と言えるほどのものはなかったんですが、今ならアジャイルメディアさんあたりがやりたいことに近いのかな。もう少し、タイミングが違っていれば・・・と最近ときどき思わなくはないです。

本書の内容的には、兼元・佐々木両氏がいくつかの「集合知」をビジネスにできている企業の代表や担当者にインタビューし、対談形式でまとめたものになっています。登場人物によって「集合知」やそのビジネス化のしかたに対する捉えかたが異なるので、やや内容が散漫になっている印象は拭えない(モデレーターの両氏がむしろ発散方向に話を振っている印象もなくはない)ですね。読む前はもっと明確な方法論が定義されているのかと期待していたのですが、少し肩透かしを食ったかも。
とはいえ、こういうビジネスの現状や将来像みたいなものが、おぼろげではあるけど感じられたのは確かです。業界や職種によって読みかたも変わってくると思いますが、私がいる業界で参考にできそうなこともいくつかありました。ただ、それを自分の仕事に取りこんでいこうとか、将来の事業化を視野に入れて個人ベースで活動するとなると、かなり大変そう・・・。とりあえず、淡い希望だけを抱きつつ、本書の内容は心の片隅に置いておくことにします。

投稿者 B : 00:33 | Book | Business | コメント (1) | トラックバック

2008/07/29 (Tue.)

ウェブを変える 10 の破壊的トレンド

最近 Web 本に偏ってますが、これはタイトル買いした本。

渡辺 弘美 / ウェブを変える 10 の破壊的トレンド

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ウェブ進化論』からさらに直近のトレンドを掘り下げる本としては、比較的よくまとまっているのではないかと。
Web 上で広がるトレンドを「ダイレクト」「フリー」「クラウドソーシング」「プレゼンス」「ウェブオリエンテッド」「メタヴァース」「ビデオ」「インターフェース」「サーチ」「セマンティックテクノロジー」の 10 のカテゴリに分類し、それぞれに代表的な Web サービスやテクノロジーを紹介しています。『ウェブ進化論』と重複する内容もありますが、多くは補完的に各カテゴリを掘り下げるような内容になっています。
「破壊的トレンド」というとてもセンセーショナルなタイトルがついていますが、確かに従来も産業構造を変えるような破壊的革命は数多くあったものの、Web の時代になって源流が起きてから既存ビジネスを破壊する閾値を越えるまでの動きは確かにダイナミックになっているので、「破壊的トレンド」という表現は的を射ていると思います。

現在の Web に発生しつつある新しい萌芽をざっと一覧するにはとても良いテキストだと思いますが、個人的に残念なのはこれがアメリカ発のものがほとんどであること(Web の先端はアメリカにあるのはもちろんだけど、アメリカが全てじゃないよね?という)、サービスの紹介に終始して本質を突くような分析があまり見られないこと(まあ、意図的にそういうまとめ方にしたんでしょうが)、根本的にこれが紙媒体のテキストであるということ。常に動いている Web のトレンドの、ある一時点をキャプチャした情報でしかないので、出版されると同時に陳腐化が始まる紙媒体とはもともと相性が良い題材ではないのです。まあ、誰もが海外の Web サービスにまで常にアンテナを張っておけるわけではないので、一時点での情報であっても、こういう一覧性の良い紙媒体にまとまっている意味はあるのかもしれませんが。でも、こういうテキストこそ、梅田望夫氏の Web ブックのような編集手法が適しているのではないかなと思います。

個人的に、あまり新しい発見があったというわけではないですが、アタマの整理には良かったのではないかと。どちらかというと、これをふまえてこの先来るであろう流れを予見させてくれる(あるいはそのヒントをくれる)ところまで突っ込んでほしかった気がします。
うーん、最近読んでいる紙媒体は総じて、新しい知識の吸収よりも結果的に考えの整理になるものばかりで、ちょっと残念。でも、今はやっぱり新しい知識を得るのは Web のほうが適しているんでしょうねー。

投稿者 B : 23:55 | Book | Business | コメント (8) | トラックバック

2008/07/19 (Sat.)

フューチャリスト宣言

梅田 望夫・茂木 健一郎 / フューチャリスト宣言

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ウェブ進化論』『ウェブ時代をゆく』に続いて。

梅田望夫氏と脳科学者・茂木健一郎氏の対談を書籍にまとめたものですが、これがなかなか Web の未来の正鵠を射ている。茂木氏のクオリア本は以前読んだことがあって、アハ体験以前から「感情の成り立ちを研究する脳科学の第一人者」というイメージはあったんですが、こんなに Web に入れ込んでいる人だとは知りませんでした。
この本には梅田氏の先の二冊以上に、私に気づきというか「自分がこうしたいと思っていたこと」を改めて自覚させてくれるポイントが多く記されていると思います。

以下、いくつか引用。

インターネット、それからリナックスのような「オープンソース」に若いときに触れた人は、その影響を強く受けます。インターネットの成り立ちのところに、利他性というかボランティア精神的なものがかかわっている。インターネットという素晴らしいものが毎日動いている裏には、いろんな人のただ働きがある、無償の奉仕をしている人がいる。

そう、こういう感覚は実際にネットの中に生きて、ネットの「善の側面」を体感してきた人じゃないとなかなか理解されないものです。
でも、こういう奉仕の精神ってリアル世界にも本当はたくさん転がっているものだと思うんですが。それが、一般的には「ネット=悪」みたいな縮図で表現されてしまうのは、ネットの反対側にいる表現者たち(もう少しネガティブな表現をすると、旧来の情報流通の利権を握った人たち)がネットに対する危機感を抱いているからに他ならないからじゃないでしょうか。

情報というのはもともと自らが流通したがるもの。(中略)一方、もちろんインフォメーションにはパワーがあるわけで、自分だけがあるインフォメーションを持っていることは自らの権威につながる。日本の学者はそれによって生きてきたわけです。

2001 年頃に「情報は情報のあるところに集まりたがる習性をもっている=『情報の万有引力』」に気づき、国内で情報の最も集まる東京に戻ってきた私には、ものすごく実感のある言葉です。ただ、情報というものには金銭と同じような価値・経済への影響力があるため、それを独占して利権につなげようという考えが生まれがちなことも事実。それをある程度自由流通させて、向上心のある人々で世界をより良くしていこう、というのが、「インターネットの意志」みたいなものなんじゃないかと思っています。

インターネットに個がぶら下がっているときの「ぶらさがり方のかたち」を考えたときに、僕のイメージは、日本はぶどうでアメリカはリンゴだというものなんです。(中略)組織の構造で言っても、日本はぶどうの房。アメリカはリンゴの木という組織に、個人が一個一個のリンゴ。そういう感じを受けますね。

そうか、私はリンゴになりたかったんだ。日本企業(前職は外資系でしたが、資本が海外というだけで組織構造はかなり日本的だった)の中での立ち振る舞いに妙な違和感を持ち続けている根本には、こういう思いがあったからだと気づかされました。ネット上で固有名詞(本名じゃないけど)をもって活動してきた結果、組織よりも個人志向が強くなってきたと言えばいいのか。
日本の社会も、もっと「組織の中の個人の生き方、考え方」にフォーカスを当てても良いような気がするんですが。でも、それは「個人が責任を取る」ことに直結するので、(悪い意味で)伝統的な日本社会には馴染まないんだろうとも思います。

ところが今は URL、ブログがあればいい。ネット上のプレゼンスがその個人を支えるインフラ。それを見てもらえばどういう人かわかるから。(中略)つまり、ある組織に所属するということで完結している人は、これからは輝かない。

上記のようなことを、簡潔にまとめてくれたのがこの文章。
リアル社会をそう簡単に変えることはできないから、当面できることと言えば blog などで個人(リアル社会での立場を明かすかどうかに関係なく)の考え方を発信して、自分の立ち位置をハッキリさせていくこと。それでも私はネット上での情報発信を比較的リアル社会への足がかりにできたほうだとは思いますが、こういうことってもっと当たり前になっても良いはずです。極論すれば、名刺代わりに blog の URL を交換するみたいなことが。

インターネットの一二年の歴史の中で、悪ってあちこちにありますが、それはこそこそやるもので、悪が連鎖して膨れ上がっていく感じがあまり無い。(中略)「知の喜び」「学習の喜び」のほうが奥が深く、普遍性があるから、トータルでインターネットのインパクトを考えたときに、善性が自己増殖してくるほうが表にでてくる。そういう仮説を僕はもっています。

あ、これ私も全く同じ立場。

ネットが人間の脳に対して、なんでそんなに相転移的に働くのか、ということについて考えていくと、一つのビジョンが見えてくる。それは、われわれの脳自体が、まさにウィズダム・オブ・クラウズだということです。というのは、脳の神経細胞は、一つひとつが、それぞれ一万くらいのシナプス結合を結んでいて、情報を自由にやりとりしているんですが、神経細胞一個一個のレベルは、たいした知恵はない。人間の脳って、これまでのフィジカルなコンテンツのなかでは、それほどの情報交換をしていないんですよ。(中略)ただ、ブログやメーリングリストやスカイプなんかを使いまくると、(中略)脳同士のインタラクションが、いままでとは比べものにならないくらいの複雑なネットワークを織り成すようになるんですね。そこで生まれてくるウィズダムというものが、人類を次のステージに連れて行く。

うわー、『ウェブ進化論』を読んで私が感じたことがそのまま活字になってる(笑。やっぱり進化の行く先は、全体が一つの「個」になるような繋がりが生まれることだと思うんですよ。人類全体にとっての神みたいなものがいるとすれば、きっとそれは人類の総体のことを指すんだと思うんです。近年の SF 作品で数多くこういったメタファーが用いられるのは、むしろ人間が潜在的にもっているそういう意識がもたらした預言と言ってもいい。

他にもいくつか気づきとなるフレーズはありましたが、ざっとこんなところ。別に私のために書かれた本ではありませんが、まさに「私のココロがわかるなんて」と言いたくなりました。

投稿者 B : 23:59 | Book | Business | コメント (0) | トラックバック

2008/07/10 (Thu.)

ウェブ進化論/ウェブ時代をゆく

ワーたんが繰り返し勧めるので、読んでみました。

梅田 望夫 / ウェブ進化論 ――本当の大変化はこれから始まる

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梅田 望夫 / ウェブ時代をゆく ――いかに働き、いかに学ぶか

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正直言って、この本(『ウェブ進化論』のほう)は、当時流行っていた「Web 2.0 本」の類だろうと思って食わず嫌いしてました。どうせ Google とか Ajax とかの事例を並べて持ち上げた本だろうと。でも、実際は書き手なりの真摯な想いの込められた良書だと想います。

連作っぽくなっていますが、『ウェブ進化論』は 2006 年当時の Web の世界の状況を、単なるテクノロジーとかビジネスチャンス切り口ではなく、その先端を生きる人の観点でまとめた技術・企業論。『ウェブ時代をゆく』は、前作を受けてそんな時代を「個性」として生きる生き方を説いた職業・人生論。ベースは共通ながら、論調は大きく違います。

内容としては Google のビジネスモデルやインターネット的な企業姿勢を大きくフィーチャーしていますが、読み方によっては最近流行りの「Google 礼賛」と取れなくもないのがちょっと残念なところ。まあ、信じるネットの未来を「インターネット神」という絶対的なものとして捉えるか、インターネット自体を「そこに繋がる人々の思惟の集合体」と捉えて「インターネットの意志=人類の総体的/潜在的な意志」として考えるか、という立場の違いだけという気もしますが。Google も企業である以上、そして巨大な組織になってしまった以上、少なくとも創業者が去った後の企業姿勢は保証されていないはずです。
まあ、Google の未来はさておき、私もインターネットとの出会いによって人生を大きく変えられたクチなので、そのインターネット(特に Web 2.0 以後の)が掲げる「オープン化」と「マス・コラボレーション」の波はきっと今以上に大きなうねりとなってリアルの世界をも巻き込み、その先にある「集合知」が全ての人々にとっての福音になる、と信じています。そういう意味では、根本的な部分でおそらく私は梅田望夫氏に近い価値観を持っているのだと思います。私自身、大学生から社会人になるまでの時間をインターネットの成長と共にしてきたので、『ウェブ進化論』の内容はあらかじめ知っていたことのほうが多かったですが、『ウェブ時代をゆく』の考え方には共感するところが多くありました。

この 2 冊の書物で書かれている「Web の進化」というのは、究極の形を考えるとそれはある種「人類の種としての進化」を意味するのではないかと思います。こういうことを言うと何だか宗教じみてますが、個々の人間の知がそれぞれ一つのシナプスとなって互いに結合し、全体として大きな「知性」というべき集合知を形成する、というのが、「Web の進化」の究極の到達点なのではないかと。
私もネットに繋がったこの十数年の間に、こうやって何人もの人と知を共有するだけでなく、心を通わせられたと感じることが何度もありました。それはまるで脳味噌にケーブルを挿して直接ネットに接続する感覚、あるいは精神が肉体を離れてネットの海の中を泳ぎ回る感覚に近い。極論すると、「Web の進化」とはヒトの革新にも繋がっていく話ではないかと考えています。

ちょっと話が大きく飛躍したので、元に戻します。

でも、こういう想像が生まれ、『ウェブ進化論』がもてはやされた理由は、インターネットの魅力に取り憑かれた人々が、オプティミスティックにその可能性を信じ、そのような未来が訪れる「願望」を抱いたからだろうと思います。生まれつきの境遇など何も関係なく平等なスタートラインに立ち、その気さえあれば自分で自分をどんどん高めていくことができる。先入観や政治的なしがらみを離れて対等なコミュニケーションができる。
現実の社会に当てはめてみると、そういう願望は資本主義経済の原理や企業の体面や「モラル」といったある種脊髄反射的な防衛本能によって却下、もしくは否定されるのが現代の(少なくとも日本的社会の)壁ではありますが、インターネットの可能性はそれすら超えられるんじゃないかというオプティミズムを、それを信じる者に与えてくれる気がします。

転職して今の仕事に就くことを決めたときから、この仕事には(正直、やり甲斐を感じてはいるものの)おそらく骨を埋めることはないんだろうな、自分の区切りがつくところまでやったらネット上の「形のないもの」をつくる仕事、もしくは社内にそういう役割があればそこに移るんじゃないかな、ということを頭の片隅で考え続けています。でも、だからこそ、ネットの「あちら側」(この blog で表現する上では「こちら側」なのだろうけど、『ウェブ進化論』と表現を合わせてあえて「あちら側」)と「こちら側」(同じく、ここから見れば「あちら側」)の距離を縮めることが、今の仕事における自分のミッションだと思っています。そうしなければ、旧世代の企業はおそらく、Web 2.0 の先に来るべき時代を受け止めることができないだろうから。
ただ、それはものすごく骨の折れる作業で、自分の気持ちさえあればどんどん独りで先に進んでいくことができる「あちら側」に、ともすると逃げ込みたくなります。でも、仕事を離れてでも私に共感し、力を合わせようとしてくれる人が近くに一人でもいる限り、諦めずにやってやろう、と思えるのも、その同志がおそらくネットの可能性をオプティミスティックに信じているからなんじゃないかと思います。

組織だって人が作るもの。あまりそれに縛られずに、自分が正しいと信じることをやっていけば、(管理職の見る目が間違っていなければ)組織は後からついてくる。私も諦めずにやってみようと思います。

投稿者 B : 23:59 | Book | Business | コメント (1) | トラックバック

2008/07/04 (Fri.)

終戦のローレライ

4 月に読み始めたこの小説、ようやく読破しました。

福井 晴敏 / 終戦のローレライ (1)
福井 晴敏 / 終戦のローレライ (2)
福井 晴敏 / 終戦のローレライ (3)
福井 晴敏 / 終戦のローレライ (4)

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今まで読んだ福井作品の中でも最も長い作品です。でも、その分読み応えはありました。自分自身がどうしても文章を子細かつ冗長に書いてしまうタチなので、こういう作風には理解があるというか(笑。

映画の予告であらすじというか大まかな設定は知っていたので、「ローレライ・システム」というある種トンデモな設定ってどうなの、とちょっと不安ではありましたが、実際に読んでみたらとんでもない、面白いじゃないですか。前半はあまりストーリーの進展がないのですすみも遅かったですが、後半は一気に読んでしまいました。

太平洋戦争終結の間際、超能力を身につけた少女とドイツから持ち込まれたローレライ・システム、潜水艦《伊 507》が「第三の原子爆弾」を止めるために戦う、というストーリーだけ見ると明らかに B 級ですが、物語にリアリティを持たせる精緻な描写(まあ、ローレライ・システムだけはどんなに設定をつけても無理がある話ではありますが)と人間の描き方でここまで壮大な物語に作り上げてしまうか、と驚嘆させられる小説でした。背信や艦の乗っ取り、残酷とも言える極限状態や死の描写、主人公と対役以外はほぼ全員が死んでしまうクライマックスなど、福井作品らしい展開が満載で、この作品を読んだら『亡国のイージス』も『月に繭 地には果実』も読まなくても良いかも(笑。

太平洋戦争が舞台なだけあって、物語の中から現代の日本を透視させるような書き方になっているせいか、もしかしたら終章は蛇足だったのではないかと思います。彼らのその後は、読者の想像の中で決着させておいても良かったような(まあ、登場人物に何かしらの「救い」を与えてあげるのが福井晴敏の優しさだと思うので、これはこれで良いんですが)。
誰も責任を取ることをしようとしない、日本という国の社会・組織論とか、やはり日本的な組織のあり方では、「カイゼン」はできても無から有を生み出すような真似はできないんだろうとか、でもそれも旧来のムラ社会に明治維新以降のシステムだけの資本主義と民主主義、押しつけられた非戦が混ざり合って培われてしまった精神性なのだろうとか、最近自分が日々痛感させられている日本社会の負の側面が嫌でものしかかってくるような気がしました。
でも、この作品を通じて、良くも悪くも私の中の戦争観がちょっとだけ変わったような気がします。あと、何かに命を懸けることの意味とか。読むのにけっこう体力が要る作品でしたが、読んで良かったかな。

ただ、日本で映画化されたこれの DVD を観るのは、ちょっと怖いですね(;´Д`)ヾ。

投稿者 B : 01:15 | Book | Novel | コメント (0) | トラックバック